#62 自分にとってアスレティックトレーナーという仕事

僕はアメリカでアスレティックトレーナーとしての基本的な事を勉強したし経験したので日本で働くのとは比較しにくいのですが、実際卒業してから帰国しているので仕事としては日本で活動しています。

現時点で自分が感じた事をここで書いておきます。
(賛否両論あると思うのでその人によって感じた事、思っている事は違って当然ですので参考まで)

まず最初に働く場所についてですがご存知の通りアメリカでは高校・大学・PTクリニックなど勤めるところは日本に比べると多い気がします。

自分の場合は帰国して会社員として学校で教えていた時は「教える事で勉強した事がブラッシュアップさせるから」と考えていました。

これ自体には間違いはありませんでした。自分で理解するのと指導するのでは全く違いますね。
日本ほど働きましたが今度芽生えてきたのは「現場での経験がないのに教えていいのだろうか?」という葛藤です。

現場の仕事はないかなーと探していたら偶然にもサンフッチェの求人を目にしてトントン拍子に話が進んで2ヶ月後には内定をもらいました。

プロの世界の選手をみれた事は非常に大きな経験になったし、いま現在の指導のベースになりました。
プロ選手といっても一人の人間で身体の構造も同じだし、話す言葉も同じで特にプロの選手が特別な存在とは思わなかったです。
(もちろん世間的には特別ものでそれなりのプライドも選手は持っているはずです)

現場の仕事はすごく面白くて勉強にもなったし、辛かった事も多くあるのですが一番引っかかったのは「契約」です。

基本我々の世界は一年契約の更新です。仕事があればいいけど急に契約更新がないといわれても自己責任。
会社員とは違って結構リスキーだなと思いました。(当たり前なんだろうけど、そんなの考えもしなかった)

いやでも老後は来るし、退団する時は必ずきます。だからその時のための準備をしながら毎年過ごすという事が出来ないくらい毎日忙しかったので将来に対する自信がなかったんですよね。

健康面も当時30歳で若いうちは全然いいけど一生健康でいられる保証はないし、当時は「早寝早起き3食バランス良く」が健康の秘訣だと思っていたので世間知らずでしたね。

あとは時間の問題。オフシーズンにしかまとまって休みがないので将来ずっとこれで過ごすという選択肢はありませんでした。
2011年に地震があって直後に連絡が取れなかったりした時に、仕事以外の自分の人生に目を向け始めました。
「アスレティックトレーナーである前に一人の人間として生きている」からそれを大事にしたいって。

自由に旅行に行ったり、勉強したり、本を読んだりってやつです。
自分にも絶対にくる老後や健康についての問題についてもしっかり学びたいと思ったし、準備したいと本当におもいました

だから東京に帰ってフリーランスとして自分でコントロールしながら働きたいと思ったし、そうやっていく事が自分にとって絶対に必要でした。

当然仕事がなければ収入だってありませんので自己責任。
でも一方で上がらない給料を期待するより、挑戦したい気持ちが強かったですね。
(世間はそんなに甘くないというのもその後よく学びました・・)

セミナーでて勉強したり、東京はすごく尊敬できる人が多く、雑音も多いですが情報も多いです。

その後高校や社会人レベルをチームで働きましたが属するチームによって予算の問題があるので設備や環境、給与もまちまちです。
おそらく自分で満足できるくらいの環境で働ける事はなだろうなって思いました

今考えているのは東京オリンピックがある2020年までは東京はすごく刺激的ですがその後はどうなるのか?
本当に人工知能が発達して働く人が減ればその人たちをクライアントに持つ自分も当然影響を受けるし、年金問題も親・祖父母の時代とは全く違います。

退職金もらって年金が守ってくれる時代はとっくに終わっていますから真剣に考えないといけないし、若い頃の貧乏や苦労は笑えますが老後の貧困は自分は笑えません・・。

それだけ生きるって大変です。税金も安くないですから。

理想もそうですが現実もこの業界だけでなく色々な世界をみてみたいし、経験したいのでプロ選手をサポートしたいというミーハーな考えは無くなりました。

34歳になり少なからず後輩から相談を受ける事がありますがいつも「自分は人と考え違うから参考にならないよ」っていいます。経験は話せるけどその人の理想と成功は自分とは全く違うはずですから。